どんどんやろう、選挙のときのネガキャン

新潟市長選挙の際、私は小柳さとし候補に対するネガキャンを展開しました。それは、小柳さとし候補の政治的一貫性のなさ(もともとBRT住民投票に反対していたのに「対話する市政」を訴える、就学援助切捨ての予算に賛成したのに子育て支援を拡充すると言うなど)、政治と金の問題(政治資金収支報告書を2年分出さないなど)を追及するものでした。

ネガキャン自体には批判もありましたが、私はネガキャンはやって良かったと思いますし、今後も必要に応じて行うべきだと思います。

以下、考えを整理しました。

 

1 ネガキャンは候補者選考を適正化するかもしれない

選挙は有権者にとってその権利を行使する重要な機会です。

しかし、日本ではそもそも有権者は候補者選考に関与することができません。事実上、政党や労働組合などによる談合で候補者が決定されます。

その結果、投票したい候補者が1人もいないという事態もありえます。

候補者選考に関与できない有権者が、どうしても当選して欲しくない候補者に絞ってネガキャンをすることは、政党や労働組合が談合で候補者選考をすることに対する異議申立てであり、

そのことが候補者選考を適正化していくかもしれないと思います。

2 ネガキャンなくして誰に投票すべきかの判断材料は得られない

多くの人が投票行動を決める際に参考にするのはマスコミ情報でしょう。

しかし、マスコミは、ほぼ候補者についてのネガティブ情報を流しません。

例えば、候補者の政治姿勢の一貫性(ひいては公約の実現可能性)、政治と金をめぐる問題は政治家としての資質を判断する上で極めて重要な情報です。しかし、マスコミは選挙がから

んでくるとそのような情報を流さなくなります。

それでも、それらの情報は、有権者が適切な判断をするために不可欠の情報です。

候補者の政治姿勢の一貫性に関わる事実関係は、公約の実現可能性に関わってきます。これまで一貫した姿勢を示さなかった候補がどうして当選後に公約を守ると確信できるでしょうか。

また、政治と金をめぐる問題は、当然に政治家としての資質に関わる問題です。

ですから、候補者の政治姿勢の一貫性、政治と金の問題に関わる情報は、候補者の政治家としての資質に関わる情報として有権者の参考となるべきものです。

この点、小柳さとし候補は、政治資金収支報告書を2年分提出していませんでした。これは政治と金に関わる問題です(現在、片山さつき議員も一部不記載について追及されています)。

小柳さとし候補は、市議時代にBRT賛成の立場で、BRTの住民投票にも反対しました。その同じ人が選挙では「対話する市政」を訴えていましたが、重大政治課題の住民投票に反対す

る人が本当に「対話する市政」を作ることができるのか、疑問に思う人も多いと思います。これは政治家としての一貫性(公約の実現可能性)に関わる問題です。

これらの重要な情報をマスコミは有権者に提供しませんでした。そのため、有権者が適切な判断ができるようにするためには、これらの情報を提供するネガキャンが不可欠だったと思いま

す。

 

3 選挙運動は政策を訴えれば良い?

よく選挙は政策を訴えるものであり、ネガティブ情報を流すべきではないという趣旨の発言をする人もいます。

しかし、そのような人たちは、政治家が一貫性のない行動をしても、公約違反をしても不問に付すのでしょうか。

そのような人たちは、政治家が政治と金の問題を起こしても、その政治家が良い政策を提言するのであれば目をつぶるのでしょうか。

決してそうではないはずです。

多くの方は、政治家には一貫性や公約の実現可能性、廉潔性が必要だと考えていると思います。

それでも、それらを判断する材料が提供されないままの選挙、つまりネガキャンのない選挙が望ましいとしているのは、大きな矛盾を抱えていると思います。

 

4 ネガキャンの工夫

そうはいっても、私が今回行ったネガキャンが十分で適切なものだったとは思いません。

まず、ほぼ個人として行ったことで広がりを欠いたものとなりました。

また、一方で特定の候補を応援しつつ、他方でネガキャンを展開することで、マイナスの効果を考えざるを得ない場面もありました。日本人の中には、「安倍政治を許さない」、片山さつ

き議員の政治資金規正法違反は問題だなどと現職の政権に対するネガキャンをすることを肯定しつつ、候補者についてのネガキャンだけは批判するという人が相当数います。候補者が(地方

自治体も含め)政権を担うことになるという発想があまりないようです。それはともかく、現にそのような人たちがいる以上、ネガキャンが応援する候補者に対するマイナス効果を持ちうる

ことは十分考えるべきでしょう。

ですから、できればネガキャンをする人はネガキャンに特化する、特化しない場合でも特定候補を応援するアカウントとネガキャンのアカウントは分けるなどの工夫は必要だったかと思い

ます。組織的にネガキャンを行った場合にはそのような工夫をしやすくなると思います。

なお、私自身は事実関係の裏づけは完璧を期したつもりですが、デマというべきネガキャンを行う人がいたのも事実です。デマは問題外であることは言うまでもありません。

 

5 候補者のよい側面だけ見て、悪い側面には目をつぶって、その候補者の当選後に悪いところが出てきて後悔することがないよう、これから適切かつ十分なネガキャンが行われるようにな

ることを期待しています。

適切かつ十分なネガキャンこそが有権者の判断を多層的なものとし、日本の政治を良質なものにしていくのです。

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