故中曽根康弘氏に対する弔意表明を求める通知の違憲性

さいとうゆたか弁護士

まず、総理大臣を務められた中曽根康弘氏が亡くなられたことに関し、ご冥福をお祈りいたします。

さて、その中曽根康弘氏の合同葬の関係で、文部科学省が、全国の国立大学などに、弔旗の掲揚や黙祷をして弔意を表明するよう求める通知を発したとのことです。

弔意を表するかどうかは各人の思想信条にも直結する問題です。

今回の通知は、思想信条の自由との関係で問題はないのでしょうか?

この点、謝罪広告の強制が思想信条の自由を侵害しないかどうか問われた事件についての最高裁大法廷昭和31年7月4日判決は、以下のとおり述べ、謝罪広告が陳謝の意を表明するにとどまるようなものであれば違法ではないとしています。

「謝罪広告を命ずる判決にもその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるを相当とし、これを命ずる場合の執行も債務者の意思のみに係る不代替作為として民訴七三四条に基き間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限することとなり、いわゆる強制執行に適さない場合に該当することもありうるであろうけれど、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあつては、これが強制執行も代替作為として民訴七三三条の手続によることを得るものといわなければならない。」

そうであれば、今回の弔意表明の通知についても、単に弔意を表明することを求めるものでしかなく、適法とされる余地はあるでしょう。

ただし、上記最高裁判決については、以下のとおり、思ってもいないことを公権力が表示させるのは思想信条の自由を侵害するという入江俊郎裁判官の反対意見も付されているところであり、最高裁判決とは異なる見解もありえます。

「いやしくも上告人がその良心に照らしてこのような判断は承服し得ない心境に居るにも拘らず、強制執行の方法により上告人をしてその良心の内容と異なる事柄を、恰もその良心の内容であるかのごとく表示せしめるということは、まさに上告人に対し、その承服し得ない倫理的判断の形成及び表示を公権力をもつて強制することと、何らえらぶところのない結果を生ぜしめるのであつて、それは憲法一九条の良心の自由を侵害し、また憲法一三条の個人の人格を無視することとならざるを得ないのである。」

 

今回の通知は、ペナルティ付きで弔意表明の強制をしているものではないでしょうし、ただちに思想信条の自由の侵害の問題とはなりにくいでしょう。

他方、謝罪広告であれば権利侵害に対する救済をするという必要性のために思想信条の自由が一定の制約を課されることが正当化されると言えても、今回の弔意表明要求にそれほどの正当化要素があるとも思われません。よって、今回の通知については、思想信条の自由に対する配慮が不十分であったという評価はありうると考えます。

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