砂川事件の最高裁判決原案を批判する調査官メモ発見について解説

さいとうゆたか弁護士

1 砂川事件の判決原案を批判する調査官メモ発見との報道

本日の朝日新聞で、砂川事件の判決原案を批判する調査官メモ発見と報道されています。

これは、当時の調査官であった足立勝義氏が、砂川事件の最高裁判決の原案について、安保条約を合憲とする意見と、合憲違憲の判断はできないという意見は別の意見であり、これを合体させたような判決原案について「果たして多数意見といえるか否か疑問である」「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」と批判したものです。

 

2 砂川事件最高裁判決における意見の分布

それでは砂川事件最高裁判決における意見の分布はどのようなものだったでしょうか。

同判決は駐留米軍が憲法9条2項に反するかどうかが争われた事件についてのものです。

まず、同判決は、「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。」とします。

つまり、高度の政治性を有する事柄については原則として裁判所の判断は及ばない、一見極めて明白に違憲無効だと言える場合にのみ及ぶとして統治行為論を述べます。

その上で、本件においては、「アメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。」として、駐留米軍は憲法9条2項に明白に反するとは言えず、結局本件でも統治行為論が適用され、裁判所は判断を示すことができないとします。

この判断には、裁判官田中耕太郎、同島保、同藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同河村大助、同石坂修一の補足意見および裁判官小谷勝重、同奥野健一、同高橋潔の意見が付せられています。

田中太郎耕太郎意見「アメリカ合衆国軍隊の駐留を憲法九条二項前段に違反し許すべからざるものと判断した原判決を、同条項および憲法前文の解釈を誤つたものと認めたことは正当であると考える。」⇒駐留米軍は違憲ではない。駐留米軍の違憲性は犯罪の成否と無関係

島保⇒米軍駐留は憲法の直接定める問題ではなく、政治部門の裁量問題、裁判所は立ち入ることはできない。

河村大助⇒政府には広い裁量権がある。裁量権を超える明白な違憲の場合には司法審査が及ぶ。駐留米軍は違憲ではない。

石坂修一⇒駐留米軍は違憲ではない。統治行為論否定。駐留米軍が違憲でも無罪ではない。

小谷勝重⇒駐留米軍は違憲ではない。統治行為論否定

藤田八郎、入江俊郎、⇒統治行為論

垂水克己⇒裁判所の違憲審査権の限界を決定することも裁判所の権限。駐留米軍の違憲問題は結論とリンクしない

奥野健一、高橋潔⇒駐留米軍は違憲ではない。統治行為論に賛成するも、政治性が高い等の理由だけでは統治行為論は適用されない。

このように意見がバラバラであることが明らかです。

駐留米軍を合憲とする意見は、田中耕太郎、島保、河村大助、石坂修一、小谷勝重、奥野健一、高橋潔の7名です。
判決の統治行為論に賛成するのは、河村大助、藤田八郎、入江俊郎の3名です。反対するのが、石坂修一、小谷勝重です。判決のいう統治行為論が広すぎると疑問を呈するのが奥野健一、高橋潔です。

 

3 砂川事件最高裁判決の評決のあり方は正しかったのか

ところで、裁判における評決については、過半数で決めることになります。

意見が三案以上に分かれるときは、裁判所法77条2項2号が「刑事については、過半数になるまで被告人に最も不利な意見の数を順次利益な意見の数に加え、その中で最も利益な意見」と定めています。

同規定は、被告人にとって有利な意見、不利な意見が分かれている場合の規定です。

ですから、砂川事件のときのように、いずれの裁判官も、駐留米軍は違憲で被告人は無罪という意見ではない場合、直接適用されるものではないと思われます。

しかし、本当にそれでいいのか疑問があります。

砂川事件最高裁判決においては、駐留米軍が違憲ではないという意見がそれなりにあったにもかかわらず、結論としては違憲であることが明白ではないという程度に落としたのは、違憲ではないという意見が過半数までいかなかったのであればありうるところだと思います。

しかし、判決のような統治行為論については、小谷裁判官らの反対意見もあり、少なくとも意見が出ている裁判官の中で賛成しているのは藤田八郎、入江俊郎、河村又助の3裁判官だけです(島保裁判官も統治行為論に立つと考えることはありうるかもしれませんが、同裁判官は駐留米軍の問題は憲法の問題ではないとしており、憲法問題について統治行為論に立つのかは不明です。垂水克己裁判官は、統治行為論を承認しているように見えますが、その射程範囲は不明確です)。

統治行為論という、その後の裁判所による他権力チェックに暗い影を落とすような法理論が、多数の裁判官の賛成もないまま判例となってしまったというのは、極めて重大な問題だったと思います。

例えば、駐留米軍合憲意見・統治行為論の採否という論点でそれぞれ採決したら、駐留米軍違憲、統治行為論否定という結論となったかもしれません。

それはアメリカ政府と連絡を取り合っていた田中耕太郎裁判官にとっては望ましい結論ではなかったのかもしれません。

そのような意向もあり、個々の採決を避けるため、鵺的な判決原案ができたのかもしれません。

駐留米軍が合憲だとは言わない統治行為論者を取り込み、駐留米軍が違憲だという判断を回避するために鵺的な判決原案を作ったとの評価も可能でしょう。

しかし、統治行為論のような、将来に重大な影響を与える法理論等に関わるような場合、論点毎に採決を行うということも考えられたように思います。

それが事件の解決だけではなく、法創造的役割を持つ最高裁判所としての機能を適切に果たさせることにつながったと思います。

今回の調査官メモは、そのような意味で、最高裁における評議のあり方について重要な問題提起をするものだと考えます。

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