東京ディズニーランドでも題材から「南部の唄」を外すべきか?

1 米ディズニーのスプラッシュ・マウンテンの題材から「南部の唄」が外れるという報道

報道によると、米ディズニ-のスブラッシュ・マウンテンの題材から「南部の唄」が外され、「プリンセスと魔法のキス」が新しい題材となるとのことです。

これは「南部の唄」が当時の黒人差別の実相を覆い隠しているという批判があるからということです。

東京ディズニーランドについても現在「南部の唄」を題材から外すか検討中とのことです。

以下、東京ディズニーランドにおいて「南部の唄」を題材から外すべきかどうか、検討してみます。

2 差別をなくすために必要なものは何か?ハンセン病家族訴訟熊本地裁判決から考える

「南部の唄」に対する主要な批判は、黒人差別を覆い隠すというものであり、「南部の唄」自体が黒人を侮蔑するという主張は主なものではないと思われるため、歴史的な差別を隠すことの意味について考えてみます。

この点で参考になると思われるのが、ハンセン病家族訴訟熊本地裁判決(熊本地裁令和1年6月28日)です。

同判決は、例えば、厚生労働大臣に対し、ハンセン病患者家族に対する過去の差別について周知すべき義務を認めました。

「厚生大臣は、平成8年以降も・・・偏見差別を除去する義務の一内容として、被告による不当、違法なハンセン病隔離政策等によってハンセン病患者家族に対する偏見差別を生じさせたことを明らかにした上でその謝罪とそのことを全国に周知させ、また、ハンセン病に関する正しい知識の普及のための相当な措置を取る義務を負っていた」

「これについて、被告は新法廃止の際に謝罪等をした旨主張するが・・・ハンセン病隔離政策等の不当、違法を認めるものでも、ハンセン病隔離政策等によってハンセン病患者に対する偏見差別を生じさせたことを明らかにするものでもなく」

このように、単なる謝罪ではダメで、差別の歴史についてきちんと周知することを明確に求めています。

なぜここまで求められるかというと、そこまでしないと長い歴史によって形成されてきた差別意識をなくすことはできないという認識が根底にあります。

仮に政府による差別的言動や差別のもととなる立法が現在では存在しないとしても、既に過去に形成された差別意識があり、それが自然消滅するのを待つのでは想像を絶する長年月がかかるため、積極的にそれを消滅させる必要があり、そのためには過去に差別が行われてきたこと、それが誤りであったことを周知することが必要だということです。

アメリカにおいて、建前的には人種差別が許されないものとされつつ、それでも差別事件が発生している現実からすると、アメリカにおいては黒人差別の歴史をきちんとみんなが認識しなければならないとの要請はあるでしょうし、米ディズニーに対し差別の歴史についての認識を薄れさせる「南部の唄」を題材から外す要求があり、外す義務はないとしても米ディズニーが題材から外したことは、差別解消のための合理性を有するものと考えます。

それでは日本においてはどうでしょうか?

日本では、黒人差別というものが特段目立つものではないものの、アジア系も含めた外国人差別は根強くあります。

ただし、日本では、奴隷制という歴史から黒人差別や外国人差別が形成されてきたものではないと思われます(では何が原因なのかと言われると、均質的な人々に囲まれ育つ環境等、様々な要因があると思いますが、ここでははしょります)。

よって、日本のディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンの題材から「南部の唄」を外す必要性はそれほど強くないと考えます。

私はああいう怖い乗り物にはそもそも乗りませんが、オリエンタルランドの関係者には是非慎重な考慮をしていただきたいと思います。

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