「黒い雨」訴訟で広島地裁が全員被爆者と認定

さいとうゆたか弁護士

本日、広島地裁は、「黒い雨」訴訟で、84人全員を被爆者として認める判決を言い渡したとのことです。

これまで原爆をめぐる訴訟で、「黒い雨」が問題になることはありました。

広島高裁平成30年2月9日判決は、以下のとおり述べ、控訴人の1人の白内障について、黒い雨の影響も考慮し、放射線起因性及び要医療性の要件を満たすと判断しています。

「爆心地から約1500m以遠における被爆の場合,DS02による初期放射線の被曝線量の推定は過小評価している可能性を否定できないのみならず,第1審原告X2は,前記認定のとおり,放射性降下物を含む雨に打たれ,呼吸等を通じて誘導放射化した粉塵等を体内に取り込むなどした可能性は十分にある。また,第1審原告X2は,五日市の伯父の家において,爆心地から約1.5kmで被爆した姉らや,約1kmで被爆し,約8日間滞在した後に死亡した姉とも同居していたのであり,その衣服,髪,皮膚等に付着した粉塵等に接触し,呼吸等を通じて誘導放射化した粉塵等を体内に取り込むなどした可能性も十分にある。」

今回の判決は、原爆投下直後に宇田道隆らが聴き取り調査をして、黒い雨が降った区域として「原子爆弾災害報告集」に記載した区域の外にも黒い雨降った区域がある等として、行政上は救済の対象外とされてきたそれらの区域にいた人に被爆者健康手帳の交付を認めたことに画期的な意義があります。

宇田雨域より広い範囲で黒い雨が降っていたこと、大雨域がより広かったことは、増田善信「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」(1989年2月)などにより明らかとされてきました。同論文では、「少しでも雨の降った区域は、幕臣より北西約45キロメートル、東西方向の最大幅約36キロメートルに及びその面積は約1、250平方メートルに達する。これは宇田らの求めた降雨域の約4倍の広さ」、「この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保、海田市、江田島向側部落、呉、さらに爆心から約30キロメートルも離れた倉橋島袋内などでも“黒い雨”が降っていたことが確認された。これは宇田らの調査になかったものである」、「1時間以上雨が降ったいわゆる大雨域も、宇田らの小雨域に匹敵する広さにまで広がっていた」等としていました。

今回は広島地裁において、宇田報告以降の新たな知見に沿った判断をしたということになります。

被害者救済には時間がありません。

国は控訴をせず、救済範囲の拡大を真摯に検討すべきだと考えます。

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