
執筆 新潟県弁護士会 弁護士齋藤裕(2019年度新潟県弁護士会会長、2023年度日弁連副会長)

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1 高額療養費制度をめぐる情勢
高額な医療費を払った場合、限度を超える医療費の払い戻しを受けることができる制度が高額療養費制度です。
70歳未満の場合の収入と月毎の限度額の関係は以下のとおりです。
ⅰ 報酬月額81万円以上 252,600円+(総医療費-842,000円)×1%
ⅱ 報酬月額51万5千円以上〜81万円未満 167,400円+(総医療費-558,000円)×1%
ⅲ 報酬月額27万円以上〜51万5千円未満 80,100円+(総医療費-267,000円)×1%
ⅳ 報酬月額27万円未満 57,600円
ⅴ 被保険者が市区町村民税の非課税者等 35,400円
参照:高額療養費制度について
この月毎の限度額や所得層の区分が、高収入層を中心に引き上げられるとの政府方針が2025年3月7日、一旦凍結されました。
しかし、現行の高額療養費制度の差別性や生存権との矛盾は残ったままです。
さらに、今後の改悪の動きも想定されます。
以下、高額療養費制度の差別性、生存権侵害性について述べます。
2 高額療養費制度がもたらす不平等
報酬月額27万円の人の負担する療養費
報酬月額27万円以上の場合、単純に×12した場合、年収324万円です。
その場合の所得税はおおざっぱに言うと42万1500円です。所得税を引いた金額は281万8500円となります。
そして、医療費限度額は80,100円+(総医療費-267,000円)×1%となります。
仮に、1000万円月額医療費がかかった場合、上記計算式では、月額療養費17万7430円を負担することになります(健保連の調査によると、令和4年度において、月額1000万円以上のレセプトが1792件あったということです)。
報酬月額27万円未満の人の負担する療養費との差は許容されるのか?
ところが、月額27万未満の人は、3万5400円が上限となります。
たった1円月額報酬が異なるだけで実に月額負担14万円もの差が出てきます。
特に、高額の療養費を負担するような状況では、患者は就労もまともにできない状況ということが多いでしょう。
たくわえがあるかどうかも個人差がありますし(奨学金や事業資金の返済のため、高収入でもたくわええが乏しい人も多いでしょう)、サラリーマンでなければ傷病手当すら出ません。
それにも関わらず、前年収入により、このような療養費負担に差が出てくることは異常といえます。
3 憲法の平等権に違反する高額療養費制度
現行の高額療養費制度は憲法14条などに違反しないか?
貧富の差を縮小させることは重要な政策目標です。
しかし、少しだけ基準を上回っただけで、急に療養費が高くなり、収入差をも上回るような療養費の差が出てくる制度に合理性があるとは思われません。
貧富の差の解消のために高所得者については保険料が高く設定されており、保険制度における貧富差の解消策としてはそれで十分と考えるべきです。
前年度収入が高かったがために、療養費の負担ができず、必要な治療が受けられない社会。
そのような社会は憲法14条の平等権や憲法25条の生存権が保障されているとは言えないのではないでしょうか?
保険料について所得差を認めるのであれば、給付、つまり高額療養費制度については完全に同一額を上限とすることが憲法の理念に沿っているように思います。
高額療養費制度と憲法14条についての検討
憲法14条は、「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」としています。参照:日本国憲法
「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」に該当しない理由による差別は禁止されないと解釈し、かつ、「社会的身分」とは、人の生まれによって決定される地位を指すと考えると、所得による差別は憲法14条により禁止されないかのようです。
しかし、尊属殺重罰規定を違憲とした最高裁判決は、憲法14条の「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」は例示だと判断していいます。参照:憲法14条後段列挙事由は例示とした判例
また、社会的身分とは、最高裁により、「人が社会において占める継続的な地位」のことを言うとされており、後天的なものも含むとされます。
よって、所得による不合理な差別も憲法14条に違反します。
そして、高額療養費の支給を受ける人は大病を患っているのであり、収入が前年度より激減する可能性が高いと考えられます。
貯えもなく、かつ、大病で収入を失った人が、前年度の収入が高かったという理由だけで、前年度の収入が低い人と比べ、医療の面で差別される合理性があるとは言えません。現行の高額療養費制度は憲法14条や29条に違反する可能性があるものと考えます。
極めて優遇されている公務員
高額療養について税金で優遇される公務員
ところで、高額療養費制度自体は公務員にも適用されます。
しかし、公務員については、一部負担金払戻金などの制度があり、実際に負担する医療費は民間人よりはるかに小さい金額です。
例えば、高額療養費を控除後の負担額が8万7430円の場合、6万2400円の一部負担金払戻金が支払われ、実際に公務員が負担するのは2万5030円とされます。参照:一部負担金払戻金についてのサイト
当然、国もその財源を負担しています。
国民の税金で自らは高額療養費を実際にはほぼ負担しないようにしておきながら、財源を理由に民間の労働者には高額の療養費の負担を強いる。
このような官僚のやり方は極めて不当ですし、このような意味でも高額療養費制度は憲法上問題があると考えます。
公務員の給料で共済財政を支えているから問題ない?
なお、官僚は、自分たちの給料等から共済財政を賄っているので、問題ないだろうと強弁するかもしれません。
しかし、当然、保険料の使用者負担分がありますし、それは国の負担です。
また、国家公務員という、比較的安定した収入を得ることができる人たちだけで健康保険を運営していること自体、極めて特権的な扱いだということを認識する必要があります。
例えば、同業者同士で国民健康保険組合を作ることができれば、安定した財源のもと、充実した保険給付を行うことができます。
しかし、国民健康保険法17条は、国民健康保険組合を作ることについて都道府県知事の認可が必要としており、かつ、知事にはかなり幅広い裁量が与えられています。
そして、ある職種の人がごそっと国民健康保険を離脱すると、国民健康保険財政を直撃するので、実際には国民健康保険組合の新規設立は極めて困難です。
その結果、多くの自営業者は、年金生活の高齢者等とともに国民健康保険財政を支えることになっています。
よって、自営業者は、自分たちで国民健康保険組合を作る道を封じられ、国家公務員のような、収入がある人たちだけの健康保険の利益を受ける機会を奪われています。
そのような差別性がある中では、公務員が自分たちの収入で財源を賄っているから問題ないとは言えないのです。
本来は、健康保険については、公務員、労働者、自営業者、年金生活者すべてを包含したものにすべきかと考えます。
4 生存権を侵害する高額療養費制度
憲法は以下のとおり定めています。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
この生存権について、朝日訴訟についての最高裁昭和42年5月24日判決は以下のとおり述べます。
参照:朝日訴訟最高裁判決
「現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」
現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するような福祉施策は違法となりうるわけです。
一般社団法人キャンサーペアレンツ等による調査によると、子どもをがん患者について、多くの方が親族や消費者金融から借金をしているとのことです。参照:「子どもを持つがん患者における、心理社会的苦痛と支援ニーズに関する横断研究」調査結果について | 国立がん研究センター 東病院
まさに現実の条件を無視した高額療養費制度となっていること、重病患者が生活をなしうる高額療養費制度になっていないことは明らかです。
特に、前年度収入がかなり高い世帯では、療養中の収入を高額療養費上限、つまり治療費支出が上回ることも稀ではないでしょう。
このように、およそ生活できないような高額療養費上限を設定する高額療養費制度については生存権の観点からも大きな問題をはらんでいると言えます。
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